剥き出しで生き続ける価値

パフォーマンスを生業とするものは、全てを晒して生きている。
技術が未熟でまだ何にもできなくてイメージだけがある時代から、ちゃんと見合うだろうかとビビりながら強気の営業をし、一つ一つの体験の積み重ねがキャリアになっていく。それゆえ、今の自分を精一杯表に出すことでしか、次の道も開かない仕事だ。

恥ずかしいとか、怒られることを怖れるなど、それは自らが乗り越えること。
とにかくどんな状態でも、その場にい続けることを諦めたら、もう居場所はない。なぜなら、みんな剥き出しで勝負しているのだから、剥き出しで相対するのがここでの礼儀。

先日インスタライブを初めてやってみたのですが、始めようとした途端に機材トラブルがあったりして、あらあら。経験値のないことはやっぱり下手なんだなーと思い知った土曜朝。これを解消するには、失敗も晒しながら経験値を上げるしかないんです。そして、それについて別にクヨクヨしたりもしないのです。(飽きずに喜んでもらえるようにはできなかったなー。今度はこうしたいなー。それにはこのケーブル短くない?)など考えることはたくさんあって、まずは自らの努力以外の買えば済むことなどを解消し、あとのクオリティは自分次第なわけです。

ちなみに私の日常はこんな感じです。踊るっていうことは、まず生活の中にあります。

日々“私がみたいもの”に近づけるかどうか?

今日は古い友人たちのバレエ公演を観てきました。どれくらい古いかと言うと、私が10代で、彼女たちは高校生だった。稽古の後、レオタードでプールに遊びに行っちゃったような友人たちが、珠玉のダンサーとして今、存在している。美しくて楽しく、みじんも努力を感じさせない、かつ高校生のその人が見える踊り♪
これをその場で観ることは、時空を超えた幸せな瞬間でした。

この間に、どれだけのことがあったかはどうでも良くて、今の身体が全てを伝えてくれます。
パフォーマンス業とは、そういうことなのです。

緊急事態とか、何をか言わんや。今は今だけ。そして今は永遠。
私もがんばろーっと!

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