自信と探究

自信について考えていた。
できないことをやるときには、誰もが自信なさそうである。私も同じ。
できないけれど、なんとかやってみようと思う。やっているうちに、少し手順がわかってくると余分な緊張がとけ、少し楽しくなってくる。「こういう時はこうすればいいんだな?」と、つまづいたときの解決方法を一つ身につけた、ということなのだ。その積み重ねにより、解決方法をたくさん蓄えた人はエキスパートである。一瞬足を止めた場所から、新たな展開を生むこともできるだろう。

報告書の書き方、映像の編集、闇雲に手をつけたことも、少し教わることで少しできるようになった。
自信はない。それは、たった一つの解決方法を持っているに過ぎないからだろうか?(自信を得るためには、たくさんの解決方法を身につけないといけない)そう思ってしまいがちだけど、たった一つの方法だけでも、丁寧にやっていけば、何か開けるのかもしれない。

同じことをやり続けると早くなる!それだけは確実。ただし、丁寧に。雑に積み重ねたら、雑が蓄積してしまうから闇雲にやるのは怖い。暮らし方や思考が人に蓄積するのと同じだ。

久高島で踊る

何か考えていても、結局いつも、私の興味はおどりへ戻っていく。
もっともっと、方法があるかもしれない。無意識にこんなことをしていたけれど、どういうことだったのか。この方が効果的で、この方が楽しいかな?対抗するフレーズをあててみようか?
一瞬に対して、何通りもの解決方法を探し続けてきて、まだまだ探し続けられる一つのこと。
一人でも大人数でもできること。
考えるより早く反応できること。
おどりへの興味は尽きない。

これが、私の思考回路であって、私として在るためのソフト、空間に肉体があるときの揺るぎない自信。
私にとっては不要不急と言われるようなことではなく、これでやっと、自信を持って誰かの要に立つ。
私が今ここにいますよー!って旗を振れる。
何がきてもどのようにでも解決しますよー!ってどんと引き受けられる。

この同じ探究を、積み上げていける他のことってあるのかな?


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