祈りと嘘

今年は桜が早く終わってしまったようですね。神奈川では満開の時期も短かった気がします。

私は桜が咲くとお墓参りに行きます。亡き祖母とは、いつもお花見にあわせて祖父のお墓参りに行っていました。杉並区に居を構えていたのに「おじいちゃんはお墓参りが一族の行楽になるように鎌倉霊園を選んだのよ」とそれは子どもの頃に耳にしていた話ですが、実際私が子育てにあたり鎌倉・大船に移り住んだのも、お墓参りで身近だったからでしょう。今はチャリで行けます。

祖母とお墓参りの後には、うなぎを御馳走してもらったり、江ノ電で海を眺めて江の島へ行ったり、アジの押し寿司をお土産に買って井の頭まで帰宅する間、祖父の思い出話をたくさん聞きました。祖母とのお墓参りは楽しい思い出ばかりです。なのでお花も華やかに。

お墓を整えて、空と話す。
祈りというのは、習俗を超えて、どの民族にあるのではないかと思います。
私は、踊りも、そういうものだと感じています。

この数年、踊りの現場を言葉で説明する、という翻訳作業をしてきました。踊って楽しかったという証拠を集めたり。翻訳された文章の証拠を見ておどる人が増えるわけではなかったけれど、活動を広げるためにはそれが必要だと思ってきた。でも、ちょっとそれには疲れちゃったな。文字にする言葉はいくらでも嘘をつけると知って。

私の本来の言葉はおどること。嘘つけない言葉。
しばらく、おどることを中心に暮らそうと思います。

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