おどるからだ

日々、集中した稽古時間を確保することにして、踊る身体を取り戻した。
私はスマホやパソコンを打ちすぎると、腕が痺れてしまう。丸一日パソコンに向かっている人から見たら笑止千万だけど、じっと座って画面を見続けるという身体が苦手で、あまりにその時間が続くと、なかなか踊りに入れなくなっていく。踊り始めても、頭の中はぐるぐると(あれはどうしたらいいのだろう?)とめぐってしまい、なかなかポッカリできない。

メトロノームと共に進むタップの基礎練習は、ある意味瞑想的な時間。
筋肉と音に集中していくうちに、あれこれとした考え事が消えていき、筋肉の意識も消え、完全に音だけになっていく。ここからやっと練習に入れるのだが、練習に入れないまま、基礎練を繰り返して終わってしまう日が多かった。事務モードが過ぎるとなかなか雑念が消えないのだ。

これを強制的に消す仕掛けがあって、それは私の場合「公開モード」なのだと思う。私が公開されている時、強制的に雑念は消える。公開されている時、私は全く何も考えずにいられるのだ。おそらく一般的ではないかもしれない。そんな仕掛けのおかげで、だいぶ無我の時間が早く訪れるようになってきた。

それにヒントを得て、日曜夜23時〜23時半「night at talk ひとりでいる夜に」という生トークを始めてみた。先週思い立って始めてみたが、しばらく続けてみようと思う。こちらは発信ではなく夜のバー的交流のイメージ。おどるなつこチャンネルにてやっていますので、よかったら眠る前のひと時に遊びにきてください。
経緯はこちら→裏日記

さて。
踊っている、とはどういう状態なのだろう?
私の場合。完全に空っぽな躯体に何かが入り込み、その入り込んだプログラムによって生まれる心の動きが、ホログラムのように空間に表出する。そんな感じなので、自分の踊りの記録を後から見ても「へえ〜、こんな風だったんだな」と半ば他人事のように感じる。その代わり、その状態に入れるために、事前にあらゆる設定を尽くしておく。

書いていて、とてもライブがしたいなあ!と思う。

私は観たいもののイメージが常にある。それは霞がかかっていてあまりくっきりとは見ることができないが、日々そこに意識を集めてみる。空や木々のように自然で美しい造形や色彩、日々眺めている裏庭のような雑多な集合の調和、ドロドロした愛おしい生身の感情、そんな何か。自分の踊りもそうなっていけたらいいなあ。

「おうちでタップ」シリーズもしみじみと継続している。毎回みていてくださる方があって嬉しいです!

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