過去と未来と山林の三輪

年度末の報告や審査会などが、ほぼひと段落。どの現場でも、周りの方がさりげなく優しい心遣いで助けてくださる。不肖なつこ 、いろいろできないことが多くて、迷惑ばかりかけているはずなので、本当に感謝しております。
来年度のことも考えなければならないけれど、ひとまず4月中旬までは地続きの予定で、秋の企画もきっと実現する!

住処と山林募集中

そういえば秋には自宅が解体退去なので、そろそろ拠点も探さなくては!
我が家は、ピアノとタップ板と猫のいる母子家庭として、古い木造家屋を転々としてきました。どのおうちも木と土と紙でできていて風が通り、至る所に職人さんの仕事が生き続けていて、寒くても心温まる家たちでした。どこか痛んでいたり、土地の期限があったり、多くの家が定期借家でしたので、解体の時に立ち会えば、仲良しだった大木蓮や柿の木までもがついでに伐採されていき、涙がこぼれたものでした。障子の桟、古いガラスの引き戸、ねじ式の鍵、杉皮の天井、きのこが生える土壁、いろいろな名前と身長が刻まれている柱、床下から上がってくる冷たい風……長い年月を生きてきた廊下の板たちも大好きでした。今のおうちも、30㎡ととても小さいけれど、木の建て具に囲まれて穏やかに過ごしてきたので、お別れが寂しいな。
鎌倉の曲り家の記憶

というわけで、古い平家か、土蔵、小さな小屋付きの山林、手を入れかねている廃アパートひと棟、などなど、娘と猫との住処兼、新あしプロ稽古場への可能性のある場を探しております。樹木の多い環境希望、枝打ちや竹林の手入れなど、本能に従ってある程度こなします(笑)大船あたりが住み慣れているけれど、ふと思いついたご縁ありましたら、ぜひお声掛けください!

この瞬間と1000年の広がり

私はどうしたことか、木と友達であり、それはおそらく井の頭の森でほとんどを過ごしていた子どもの頃からそうだったのだし、だからこそタップダンサーになったのかもしれない。そういうことは自分ではなかなか気づけないようだ。大きな一枚板を扱う新潟の材木屋さん新発田屋さんで、私は仲間と巡り合ってしまった。木材に話しかける人々!同志!

私が普段に使っているヒノキタップ板の1枚づつは15センチ幅なのだが、それですら80年育った檜からしか取れない。100歳の木はその後木材としても100年生きられるというけれど、木は歳を取ったほうが油が出てきて丈夫になる。つまり、幅の広い木材はそれはそれは驚異的な樹齢なのだし、本当に価値のある木材として、この後100年どころか、もっともっと長く生き続けられるということになる。私が奏でさせていただいた木材たちはいったい何歳なのだろう。

そんなふうに、様々な状態の木に囲まれていることで、私は知らぬうちに1000年ぐらいを共有させてもらってきたのだろう。神社に御神木があるのも同じ理由のように感じる。
文化や芸術というものは、普段あまり気づかないけれど、物凄い年月を含んで今ここに共に在る。成長、繁殖、老化、ある一定期間に変化し朽ちる身体は、今という瞬間の中心に常にある。そんな変わりづづける私たちの周りには、1000年という波紋のようなものがいつも広がっていて、そちらの方を精神と呼ぶのかもしれず、おそらくその波紋の中では過去も未来も同義なのだ。

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