憧れ

私は子どもの頃から、音楽に大きな憧れを持っていた。それは、井の頭の森で遊び過ごしていた時間が長いことと関係あるように思う。
リズム、メロディ、ハーモニー。

森の音

森の音はまさにそうなのだ。玉川上水のチョロチョロとした微かな水音、でも、水面が下の方にあるからこその湿った響き、枯れ枝をふむ音、どんぐりまじりの乾いた土、鳥の声、風で揺れる木々のガサガサ、空の音。

リアルな音楽は弟のものとして在り、日常的にクラシックが聴こえていたが、私は、ジョン・レノンに出会った意外、あまり大好きと言える音楽がなかった。

タップダンスに出会ったときに、「あ、これで私にも音楽ができるかも!」と思ったことは、だから自分でもちょっと意外だった。音楽に憧れを抱いていたことを知らなかった。
タップダンスを通して、音楽への憧れを眼に見えるようにできることはとてもおもしろく、私の探求は他のタップダンサーとは少し違ったかもしれない。

音楽とは、一体何がすごいのか?私は音楽の何に憧れているのか?
これはずっとよくわからなかった。相変わらず「これが好き!」という明確なもののないまま、私には聴きたい音があるようだった。

裏庭に宇宙

私は毎朝、裏庭をぼーっと眺めながら珈琲を飲む。自分で手網焙煎しているのでこれはとっても美味しい!午前中は作業しつつ、何度でも珈琲を入れては裏庭を眺めている。

ある時ふと(この裏庭は全世界と同義なんだ)と思った。

この裏庭は、3年前に入居した際、全面敷石に覆われていた。それを全てどけて、私が食べたものを埋めたり、果物の種を投げておいたり、掃いた枯れ葉を積んでおいたりするうちに、みるみる豊かに育った。べったりと固く死んでいた土はふかふかに空気を含み、裏庭全体がまもなく生き返った。
地面を這うハコベやオオイヌノフグリ、少し身長のあるユキノシタ、ハハコグサ、クローバー、生命力旺盛なドクダミ、ヒメジョオン、草にしてはでっかいノゲシ、セイタカアワダチソウ、さまざまなミカンにはアゲハ各種が産卵し、バッタにカマキリ、キリギリス、トカゲにヤモリ、猫の獲物になりがちだけれども、さまざまな生き物がいる。ビワ、カキ、ホオなど、自然に生えてきた木もだいぶ背が伸びた。お向かいの古いサクラは病んだ枝を伐られて半身になったが目一杯の花を散らせ、今、あたりは緑色の濃淡だけで色彩にあふれている。
種類も習性も周期も違うけれども、だからこそ共存している世界は豊かだ。

音楽とは世界の調和を再現しようとしたもの

裏庭を見ていたときに、ふと(ああ、ここには音楽の全てがある)と思った。
リズム、メロディ、ハーモニー。
日がのぼり日が沈む、月が満ち月が欠ける、季節が変わりまた巡る、これらの周期的なリズム。
種から芽吹き花をつけ、虫たちに花粉を分けて子孫を増やし、1年で枯れていく草の一生。それらの傍らで100年もの時を過ごしている樹木の、永久に近い眼差し。その周りで働くさまざまな虫や小動物たちの絡み合い。そこに関わる動物たちやヒトの営み。これらはそれぞれ独立したメロディだ。

それらが織りなすのがハーモニー。
強弱や特性もさまざまなあらゆる生命が、そのままで調和している。
裏庭には、感情はないのかもしれない。でも、このハーモニーは私の感情を呼び起こす。

逆なんだ。裏庭に音楽の全てがあるのではなくて、音楽とはこの世界の調和を再現しようとして生まれたんじゃないかな。

私は音楽に憧れている。
つまり。それは何に憧れているのだろう?
私が即興でいつも再現しようとしていることは何なのだろう?

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