サステイナビリティ、持続可能な生活、SDG’sという言葉を聞くたびに、いや、それって、うちの暮らしじゃない?って思います。回り回って、私が選んできた暮らし方、お金がなさすぎたから、それでも猫と娘とともに歌い踊り暮らしていくために選んできた方法は、命が循環することの恩恵を目一杯受けてきた暮らしでした。
誰も住まなくなり、雨漏りで傷み始めていたボットン便所の平家を貸していただき、広い庭をご近所に開放し、道端に落ちた倒木や小枝をひろう薪ストーブの暮らし。生ゴミを埋めていくだけで、何かしら食べられるものが育つ。安全なばかりではないその循環の中で、身体の細胞は日々入れ替わり、成長し、老いていく。
アライグマからの知らせ
次々廃棄処分される、古着物や古道具、解体古材。まるでお金がなかったのに、美しい建具、鏡台や桐ダンスなど古い職人さんの仕事に囲まれて、とても豊かな暮らしをさせてもらってきました。
そんな、吹き込まれた命がずっと循環する暮らし方のことを、SDG’sとまとめているのかなと思います。アートかビジネスかなんて線引きはなく、ただ、営みがあって。
望むままに美しく幸せに、喜びを提供しあって、あらゆる営みを続けていけばいい。
動物も植物も鉱物も、すべての命がちゃんと噛み合って回っている。地球の暮らしすら本当は幻想かもしれない。
今も同じ地球上で空爆が行われていて、そんな愚かなことを選択していてはこの先に持続する未来はこない。意図して破壊しあっているのだから、コロナどころじゃないでしょう。全世界で全力で止めようよ。
「踊って出会うこと〜ドイツストリートと国際平和村」2009年寄稿記事
誰もが幸せに暮らすこと。
幸せの形を見せあっていくこと。
喜び全開の瞬間を分かちあうこと。
みんなでそっちを目指して行きませんか。